Better than nothing夫婦

米国ナーシングホーム勤務女性の毎日のあれこれ

日記とブログ

わあ、ブログを三週間も書き込みしていなかった。途切れ、途切れのブログの書き込みは、特に最初は良くないと注意書きに書いてあったのに、毎日どころか2、3日おきに書くことの難しさ。

私はダイアリーをもう50年以上書いている。ダイアリーといっても、毎日でなく、心の整理、気持ちの吐き出すものとしての書き込みだから、心が苦しい時、不安で仕方ない時などには、毎日、時には1日に数回書くこともあれば、3ヶ月、半年書かないこともある。

今から15年ほど前、段ボール一杯溜まった30年分程のダイアリーを、処分した。引っ越しの度にニューヨーク、東京、アメリカ各地と一緒に移動していたのだが、それも大変で、ある時から実家の屋根裏部屋に置いていた。でも、自分が死に、誰かが整理する羽目になった時に読まれたら、恥ずかしいという思いで、ゴミとして出してしまった。 

涙のシミがある、悲しくてペンで書き殴り、苛立ちから引っ掻いて穴をあけたページも数多い、20冊以上の、色も形も厚さも様々なダイアリーを全て処分してしまった。

時々、昔を思い出し、辛い日々のあの時はどんな気持ちでいたんだろうと思うことがある。ダイアリーを開いて、その時の心を読み返してみたくなる。でも、アメリカで死ぬ可能性が高く、しかも突然死ぬことだってありうるし、80歳になって重いダイアリーの入った段ボール箱を、親の代から代変わりした実家の物置から引っ張り出す力は無いだろうと思うと、仕方ない判断だったと思う。

ブログをかくのは、日記とは性格が違う。読み手を意識して、ありのままは書けない。又、辛いことが有れば、日記に戻って書くだろう。処分した後に書きためた日記帳がもう10冊以上溜まっている。又それらもいつか処分することのなるのだろう。

ブログは日記より、几帳面さを要求される。気ままに書きたい時だけ書くわけにはいかないブログはある意味私にとってはチャレンジだ。

2020 ハロウィン

コロナウイルスの蔓延が中西部で特にひどい今、今年のハロウィンは、街全体でほぼ中止だ。トリック・オア・トリート(お菓子をくれなきゃいたずらしちゃうぞ!)を、子供達が玄関先でふれて回ってお菓子をもらう。とても楽しみな行事なのに、キャンセルになるとは。これも、各種ショーの中止、観客のいないスポーツなど、様々な前代未聞の出来事の一つとなった。

 

我が家も、ドライブがてら、毎年郊外までパンプキンを買いに行くのに、今年はそれも辞めた。子供達も回って来ないし、合図の玄関のライトも消して、うちは今年は参加してませんの意思表示。もしも、回ってくる子がいても、やるお菓子も購入してない。毎年バターフィンガー、キットキャット、スニッカーズ、ピーナッツバターカップなどの小ぶり版を沢山購入しておくが、毎年沢山余って、結局自分たちで食べる羽目になるので、それを見越してここ数年は自分たちの好みのキャンデーを買うようになった。私の好みはバターフィンガー、夫が好きなのはピーナッツバターカップ。

 

今年は5度前後の寒い10月31日、ハロウィンデーだった。子供達が小さい時、ある年はとても寒くて雪がチラつき、30分ぐらい父親と回って、あまりに寒いので風邪をひかないかと心配した夫が早めに切り上げてきたのに、もっとお菓子が欲しい娘は、また出かけると主張した。

 

ある時は、かなり暖かくて、薄いコスチュームでも全く寒くなく、親は心配しないで済む。市販のコスチュームはペラペラで、たまたまハロウィンが寒い年は、1時間近く歩き回る子供達が暖かくしていられるように、親は下に何を着せるか心配する。コスチュームの上から、コートを着せたら楽しみが台無しになる。でも、子供たちは、暖かろうと、寒かろうと、子供達は飛び跳ね回って家々を回る。

フットボールの好きなロニー(1)

ロニーは80歳半ばの背の高いお爺ちゃんだ。私が最初に会ったのは3年前「季節」の住人のだった。ストローク(脳溢血)の後遺症で、言葉があまりで出てこず、右手が不自由なので、一日中合う人ごとにハウ・アー・ユーと会う度に誰にでも声をかける。普通この挨拶は10分後に又会った場合避けるので、何故彼はこの表現を繰り返すのかと思っていたが、どうもこれ以外の言葉が出てこず、結果これを繰り返しているらしいとわかったので、それ以後は、毎回ファインと答えることにした。

 

季節では、お世話焼きのスージーが彼に代わって、食事のメニューのオーダーから、好きなフットボールの観戦用のチーズ、ビールのオーダーまで世話を焼くので、夫婦なのかと思っていたら、ずっと前からの友達だと説明された。それぞれ配偶者を亡くして同じ施設の「季節」に落ち着いた訳だ。

 

食事のメニューオーダーは、いつも、利き腕の右手が麻痺して、記入できない彼のために、オ一々確かめながらスージーが書いてあげる。普通朝食は全粒小麦粉パン2枚にバターとジャムをつけ、果物、ミルク、オレンジジュース、ベーコンかソーセージ、スクランブルエッグと決まっていて、時々、パンがインングリッシュ・マフィンになったり、ドーナッツになったりする。お昼はハンバーガー以外の時は殆ど抜きだった。朝の食事量が多いので、十分だったのだろう。

 

そういう状態が2年ちょっと続き、去年の冬の初めの11月ごろから食欲がみるみる落ちて来た。朝に同じ物を用意しても、食べ残す。スージーが心配して色々と「あれは、これは」と言っても食べたがらない。そのうち何もいらないというようになり、病院にも連れて行かれたが、改善せず、1月の初めには住居を「野原」に移ることになった。

ニコニコお婆さんD

Dは気の良いお婆さんだ。老人性のアルツハイマーで、かなり記憶が薄れ、今は余り会話もできない。元看護婦という88歳の彼女は、歩行器に自分の子供という人形のサムを乗っけて自分の部屋から食堂へやってくる。実際は彼女は結婚したことはなく、従って子供もいないけど、時々サムをおくるみごと大事そうに抱き上げほおずりしたり、キスをしたりしている。

 

看護士たちは彼女のことをグランマDと呼んで親しく思っている様子だ。食事は以前喉に食べ物を数回詰まらせた結果から、舌でつぶせる柔らかい食べ物、肉系は液状にした物しか食べさせてはいけない事になっていて、キッチンから彼女用の特別食が毎食ごとに送られてくる。それを彼女は残らず平らげ、デザートがあればそれもきれいに平らげる。

 

いつもニコニコして、食事を目の前の置いてやれば、自分でスプーンで食べるので手が要らないことも、看護士たちが彼女を好きな理由だ。それと彼女は飲み物が大好きで、大きなプラスティックのコップのとろみをつけたジュースをすぐ飲み干す。だから又ついでやると又それを飲み干す。キリがない。でも、私はこれが彼女の長生きの秘訣の一つではないかと思っている。

 

Dは私が働き始めた3年前から「野原」の住人だ。20人近くいた老人たちも3年の間に殆ど一人ずつ亡くなってしまった。「野原」は、頭がボケ、体の自由もほぼ失ってしまった老人たちが住むエリアで、外出も自由にはできない。この施設で働き始めたときに、「野原」に移されるということは頭も体も弱って、余り長生きできそうにないと判断された人達が来るところだと教えられた。

 

その中でDは、確かに3年前より顔に老いが見え、身体も弱っているが、それでも、車椅子での移動をする老人たちが多い中、今日もサムを毛布に包んで、自分で歩行器を押して朝ごはんを食べにやってくる。

 

 

 

Better than Nothing

夫は私よりかなり若い。若い時はその歳の差も気になったが、30年以上連れ添った今、あまり気にならなくなった、というよりどうでも良くなった。  

 

今はとにかく二人ともずっと健康で医者や子供達の世話にならずに、高額なアメリカのナーシングホームに入らずにいられたらと強く思う。そして、死ぬ間際にちょっとの間だけ(仕方ない)他人の手を借りて死ねたら良いと考えている。

 

夫は気が短く何か気に食わない事があるとカーッと頭に血が上り、暴言を吐く。その時は私も腹が立ち、「なんでこんな奴と結婚したのだろうと」30年以上も前の選択が自分の過ちだったかと悔しくなる。

 

でも、何にもない日常暮らしの中では、お互いをBetter than Nothingと呼び合い、もし夫がいなかったら、奥の奥の芯は弱い私はどう自分を支えて生きていけるだろうかと時々考える。やっぱり、Better than Nothingだ。いないよりマシ。

 

 

しまった、どうしよう。

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典型的ナーシングホームダイニング


私はアメリカのあるナーシングホームの食事の世話をする人達の監督の仕事をしている。

 

10日ばかり前に、職場の仕事のレベルがちょっと上がり、時給が僅かに上がり、働く時間が午前から午後に変わった。給料は僅かな増加でも、上がれば家の改築という大課題の窓一枚分くらいの助けにはなると思って引き受けた。

 

今日の初めてにスタッフ会議で、過去2年の経験上から考えていたことを言って、その結果自分の首を絞める結果になったかなとやや後悔している。

 

自分の子供より年下の同僚たちは、アルバイト程度の仕事の気持ちの子が多く、仕事への態度も今風に言うとユルくて、言われてる数々の記録も無記載が多い。

 

冷蔵庫の温度の記録、提供食事の温度の記録、食洗機の温度、数々のジュース、ミルク、パン類などは開封したら賞味期限のラベルをいちいち貼らなければならない。持ち場のキッチンを清潔に管理、運営しなければならない。主婦なら経験上の知識から上手く対応できるが、20歳くらいの若者は気が付かない子も多く、細かな対応は中々難しい。

 

そしてその記録は州年一回の抜き打ちの監査が入る時に調べられるわけだし、キッチンの衛生状況、食事配膳時の手際、記録類はもちろん、手袋着用の有無、手袋着用前後に手を洗ったか、などの数々の項目を、詳しく目の前でチェックされていく。

 

持ち場担当者が監査官の前で上手くやれるかどうか、職場の責任者達は監査前には非常に心配になる。上手く通らなければ営業停止だってありうる訳だからそれは心配になるはずだ。

 

それで、今日はその監査前にいかに皆を再教育するかという課題について話し合ったわけだ。私は、2週間前までは監査の対象だったのだが、今はそれをどう再教育するかの側に回ってしまい。ボスが用意してい点検用紙を私が毎日書き込む羽目になったということだ。

 

昼食時、夕食時に回って項目の仕上がり具合チェックするということで気が重い。前任はそんなことは全く要求されないお気楽仕事で、もしこの変化で人間関係が悪くなり、居心地が悪くなり、果てには辞める事になればなどと想像し、基本的には気が弱い私は、窓ガラス一枚の給料増ではバカらしいなあと思い始めている。

 

やっと、ブログ書き込みまでたどり着けた!

ふうーっ!!やっと、書き込みまでたどり着けた。

 

還暦も半ばのおば("あ"この字は入れたくない)さんには、Idの設定の注意事項やら、名前の付け方やら、他のブログアプリとの比較やら、無料版か有料版とか、色々知らないことが多すぎ、しかも用心深い(と言うより猜疑心が強い)性格故、このブログを始めるのに2日近くかかってしまった。

 

特に、最後の記事書き込み登録段階で、サードパーティCookieが邪魔しているといる表示が出て、最初意味がわからずこれを理解するのに時間を取られた。iOSの設定を変えることで先に進めて良かった良かった!

 

IT関係は何となく"間違えたらコワイ"という気持ちが付いてまわり新しいアプリの操作などにはどうしても慎重になる、と言うより、恐々になることが多い。若者の軽やかな操作とは大違いだ。

 

でも、でも、この歳でブログを始めようと思った自分を嬉しく思い、ここまでたどり着けたことに満足しているのが今の正直な気持ちだ。                 

 

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久しぶりの青空